事務局長からのお便りVol.6

 
 

明日から新年度、週明けからは新生活という方もいらっしゃるかと思いますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私は、なかなか空欄が埋まらないままタブが開かれっぱなしになっている2023年度の事業計画資料を横目に(PIECESも4月から新年度です)、もはや焦りすら通り越したことで、穏やかな気持ちでこのお便りと向き合っているところです。笑

さて、「31日(サイの日)」にのみ更新するこの事務局長からのお便り。これまで、PIECESの事業活動の様子やその時々の運営上の課題について、私なりの視点でお伝えしてきました。6回目となる今回は少し趣を変えて、PIECESという組織そのものの立ち位置について、NPOの本来的な役割に触れながら書いてみたいと思います。PIECESが「分かりにくい」と言われる所以を「分かりやすく」書けるかどうかが、今回のミッションです。

良ければ、最後までお読みいただき、皆さんの感想や考えもお聞かせていただけたら嬉しいです。最初に言っておきますが、今回も長いです。笑

ご報告

今日の本題に入る前に、1つだけご報告です。前回(Vol.5)のお便りで、採用活動にまつわる苦悩をお伝えしていましたが、その後の選考プロセスを経て、無事新たに4名の方の入職が決定しました!まずは、昨年末からの採用活動を、SNSでシェアいただいたり、説明会に足を運んでいただいたりと、様々な形で応援・協力いただいたことに、この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございます。

また、おかげさまで今回本当にたくさんの方から応募をいただきました。応募書類や面談を通じて、PIECESへの深い共感や温かい想いを届けていただき、中には20枚超(!)の自作の紹介スライドまで用意してくださる方などもいました。が、その想いのすべてに応えられないことがまた苦しくもあり、悔しくもあり、一連のプロセスを終えた今、「もっといろんな人が関われる組織に育てたい!」という気持ちとエネルギーが沸き立っています。

今回ご縁をいただけなかった皆さんには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、また何らかの形でご一緒できる機会をいただければと切に願っています。

新年度から新たに加わる4名のメンバーについては、またPIECESのHPやメルマガ等で随時ご紹介できればと思いますので、是非楽しみにしていてください!

NPOの果たす役割、そしてPIECESの立ち位置

先日、PIECESで長くプロボノとして関わるMさんが、ミーティングのチェックインでこんな話をしてくれました。

Mさんがいつものように混みあった通勤電車に乗っていたときのこと。その日は少し離れたところに白杖を持った人が1人乗っていました。ある駅でその方が降車のためにホームに降り立とうとした瞬間、同じように降りようとした人の群れが、その方を押しのけながら進んだことでホーム上で転倒してしまうということがあったそうです。幸いスッと立ち上がったせいもあってか、周囲にいた人も特に気にするようなそぶりもなく通り過ぎっていくのですが、当のその方は点字ブロックを見失っている様子でした。思わずMさんが駆け寄って誘導したことで事なきを得たようですが、Mさんはその光景にショックを受けたと話してくれました。

人によっては、些細なことのように感じるかもしれませんが、その話を聞いたときに私もMさんと同様に心が痛む思いがしました。同時に、ここ最近を振り返っただけでも、自分自身の身の周りで似たような場面に出くわしたことは一度や二度だけではありません。

身近なところで生活する人同士ですら、互いに関心をもって支え合うこと、助け合うことが難しくなっている状況が、皆さんの周りにもあるのではないでしょうか。
そして、このことを私自身の活動フィールドに引き寄せて考えたときに、ある種の危機感を抱いています。それは、NPOなどの民間非営利セクターによる取組が、そのような状況に拍車をかけてすらいる側面があるのではないかということです。
言い換えると、子ども・若者を取り巻く生態系を俯瞰したときに、特にNPOなどの非営利セクターが社会課題解決組織に寄りすぎてしまっていることの弊害として、それらの状況を生み出してしまっているかもしれないということです。

当然のことながら、様々な生きづらさを抱えた人たちの困りごとを解消したり、傷や痛みを癒したりすること、それ自体が尊い活動であることは疑いようもありません。

そのような社会的なサービスを提供することで課題解決に取り組む組織が成長する過程では(もちろんすべてがそうではありませんが)、そのフィールドにおける専門性が向上し、自治体からの委託を受けたり、ヒト・モノ・カネが集まっていきます。結果として、その団体の支援する力がさらに高まり、より多くの対象者に支援サービスを届けられるようになっていきます。その部分をみれば、個別の課題解決は着々と進んでいるともいうことができます。

その一方で、NPOに限らず、行政機関であれ、専門機関であれ、当然のことながら人々の暮らしや困りごとすべてをカバーできるかと言ったら、それは不可能です。どこかでは、地域社会に生きる人々(市民)が、相互の関わり合いの中で連帯しながら、助け合っていく必要があります。

しかし、NPOなどが支援する力を高め、支援のスペシャリストとなっていくことで、市民目線で見ると、「人助けはNPOがやってくれる」「隣人の困りごとも誰かがなんとかしてくれる」というマインドセットを作ってしまっている感覚を抱いてしまいます。これは、まちの困りごとを「行政なんだから何とかしろ」と行政へのクレームとして寄せられる構造とも似ています。結果として、冒頭に示したような光景が、まちの中に生まれてしまうということです。

このような危惧は、実は少なくとも2000年代後半にはなされているのですが、その頃から本質的には変化していないでしょうし、あるいはSDGsの広がりなどとともに、拍車がかかっているようにすら感じています。

かのピーター・ドラッカーは、非営利組織の役割のコアには「市民性の創造」があると主張してます。まさに一人ひとりの市民が自分と他者とを尊重しながら、自分の意思で、他者や社会に関わっていくこと。これは本来誰もがもっているものだと思うのですが、その市民性が発揮されにくい状態を作ってしまっているともいうことができます。

社会的なサービスの提供と市民性の創造は同時並行で行っていく必要がありますが、どうしても後者が置き去りになってしまいがちです。当然どちらの方が大事ということではなく、どちらも大事ではあるのですが、頭で考えやすく、ストーリーとしても分かりやすいがために前者に人の意識が集まっていってしまうのかもしれません。後者で求められるのは個の価値観やマインドセットの変容という分かりにくいものであり、たとえ必要性を感じていても、エネルギーが集まりにくいのだと思います。

PIECESが「市民性の醸成」を掲げて、子どもの周りに生きる人たちの価値観やマインドセットといった「あり方(Being)」にアプローチすることにこだわっているのはそれが所以です。(ちなみに、PIECESでは市民性の「創造」ではなく「醸成」と言っています。創造はどちらかというと、ないものを新たに作り出すというニュアンス。それに対して「醸成」は、既に一人ひとりがもっているものを少しずつ醸し顕在化させていくニュアンスと捉えています)

市民一人ひとりが自分自身の「あり方」を問い直していくこと。PIECESに今できることは子ども・若者の周りにいる人たちに、そのためのフィールドやコミュニティを用意していくことです。それによってそこに参加した人、触れた人の他者への関わり方や自分への接し方が変化していけば嬉しいですが、それはもはやコントロールすることはできません。

時間がかかることであり、どこかで潮目が変わるのを待ち続けるような境地でいることには葛藤や不安があるのも正直なところです。
それでも、そのスピードが少しでも速められるように、様々なステークホルダーと手を携えながら、これからも「少しずつ、みんなで」活動を続けていきたいと思います。