事務局長からのお便り Vol.13

 
 

こんにちは、PIECES理事/事務局長の斎です。

明日から新年度という方も多くいらっしゃるかと思いますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。私は1週間ほど前に、約8年住んでいた東京都文京区から、多摩市というところに引越してきました。同じ都内とはいえ、道や公園ですれ違う人たちや、お店の店員さんたちとのやりとりで感じる“間”がなんとも穏やかでゆったりしていて、私にとってはとても心地よさを感じています。

さて、「31日(サイの日)」にのみ更新するこの事務局長からのお便り。

PIECESも3月が年度末ということもあり、それぞれの事業活動について今期の成果や課題を振り返っているところです。全体の様子については、また6月頃に発行するアニュアルレポートを楽しみにしていただければと思いますが、今日は今期の活動を通じて浮かび上がってきた「緩(ゆる)める」というキーワードを軸に、市民性を育むとはどういうことかについて見つめ直してみたいと思います。

重要なお知らせとお詫び

本題に入る前に、大事なお知らせとお詫びです。

既にPIECESメイト(継続寄付者)の皆さんには3月19日付のメールで、その後HP上でも3月25日にお知らせを掲載していますが、PIECESは2024年3月25日をもって認定NPO法人の認定を失効し、3月26日から通常のNPO法人となりました。それにより、3月26日以降にクレジットカード決済や銀行振込が行われる寄付については、寄付金控除などの税制上の優遇処置の対象外となっています(3月25日以前の決済や振込は対象の範囲内)。

経緯や現時点での今後の見通し等の詳細については、当該メールやHPに記載の通りですが、今回皆さまに大変なご迷惑をおかけしてしまうことになったことについて、重ねて心よりお詫び申し上げます。

設立当初から理事を務めてきて、また事務局長という立場で組織運営の中核を担ってきたこともあり、今回の件については自身の責任についても重く受け止めています。今後はより一層、ガバナンスや法令遵守の視点から組織全体のあり方を随時見直し続け、皆さまが応援し続けたいと思える組織づくりに努めていきます。

なお、3月19日付のメールについて、一部メールの迷惑フォルダに入っていたとの報告もいただいています。もし、メールが確認できない場合や、当法人への寄付を中断されたい方、その他本件についてご不明な点等ございましたら、下記の問い合わせ先までご連絡ください。

▼本件に関するお問い合わせ先

〒113-0033 東京都文京区本郷3-30-10 本郷K&Kビル5F
特定非営利活動法人PIECES
事務局長 斎 典道
電話:03-6801-5232
e-mail:info@pieces.tokyo

「緩める」ことからはじまる、市民性の醸成

今日のテーマは、冒頭でも触れた通り「緩める」。
いま仮に「まちのなかに市民性を育む実践をする上で、最も意識することは何か?」と問われたら、「緩める」というキーワードを挙げるかなと思います。それほどまでに今のPIECESや私にとって重要なキーワードですが、1年程前まではほとんど使っていなかったように記憶しています。
それどころか、時間軸をさらに遡り、たとえばCforCの取組を始めた7,8年前のことを思い返すと、その正反対の「締める」や「張る」という感覚すら持っていたかもしれません。

冒頭からだいぶ抽象的な感じになってしまったので、ここから主に今期のCforCについて他のメンバーと一緒に振り返っていた際の対話を思い返しながら、できるだけ具体的に、この「緩める」とはどういうことか、何がどう重要なのかという話をしていければと思います。

その振り返りの対話の時間では、今期CforCに参加していた人たちの修了後のアンケートや、修了時の面談記録を眺めながら、スタッフ同士でそれぞれに気づいたことや感じたことを共有し合っていました。スタッフと言っても、CforCの運営はプロボノメンバーもいれば前年までの修了生メンバーもいるので、常に多様な視点で対話が広がっていきます。

その日も、いろんな視点が置かれていく中であるメンバーが、今期は特に「プログラムに参加したことで肩の力が抜けた」というような声が多いよねという気づきを共有してくれました。確かにアンケート全体を見渡してみると、「何か今ないものを獲得するというより、自然体の自分でいることが大事だと思えた」「何かをしようとしすぎてた自分にとって“支援者になろうとしなくていい”という言葉は刺さった」というような声が多くあることに気づきました。

これらが何を意味するのかという話になったときに行き着いたのが、CforCのプログラムがもたらしているひとつ大きな要素として「緩める」があるのではないかという話でした。

ともすると、CforCに参加してくださるような方々、つまり地域のために、社会のためにという想いを持った人たちの中には、その想いがあるがゆえに自分に足りない何かや確固たる何かを手に入れようとしすぎてしまっている。あるいは、課題の当事者の方にどうにか近づこうとしすぎてしまっているのかもしれない。それ故に、何か余裕や余白のようなものを持ちにくくなってしまっていたり、緊張感のようなものを漂わせてしまっていたりするのかもしれません。

だからこそ、CforCの場での対話や内省を通じて、正しさや正解を手放すこと、評価することジャッジすることを手放すことをしていくプロセスで、少しずつ緩んでいく。一人ひとりが安全にその場にいられ、安心して応答し合える時間が重なることで、つながりや想像力をもつための余裕や余白が生まれているとも言えるのかもしれません。

あくまで感覚的でしかありませんが、知らず知らずのうちに、社会全体が緊張している、あるいはこわばった状態に陥っているというのは、生活実感としてももっているところです。あちこちで「社会課題」が声高に叫ばれる現状では、その課題に胸を痛めれば痛めるほど、課題を解決したい、解決せねばという想いになってしまうのも無理はありません。そして、強くあること、正しくあることが求められていく。

そんなことを振り返りの対話の中から受け取り、自分なりにも考えていた矢先に、まさにCforC修了生の一人が、ご自身の体験を交えながら、その「緩める」ことの大切さをnoteに綴ってくれていたので、最後にこちらを紹介させていただきます。

▼「独り言」から「対話」を重ねて、手放したもの
https://note.com/pieces_magazine/n/n3036158a68ce

個人的には、特に下記の部分が心に響いたので、本文から一部抜粋して締めの言葉に代えさせていただきます。

内省にはエネルギーが必要であるうえに、そもそも、私自身は本心を語るのが苦手だった。
しかし、そこに醸し出される安心感からか、心の底にある思いを吐露できるようになっていった。

「困っている子どもたちを何とか助けたい」という、信念にも似た強い思いを持つようになったのは、長い間、固く蓋をしていた「人が悲しむ姿をみたくない」という思春期の体験がきっかけとなっていたことに気づく。 また、自身の社会的立場や役割からくる思考のクセがあることもわかってきた。

仲間との幾度とない対話のやり取りのなかで、自分の『メガネ(思考のクセ)』を認識したり外したり、自身には無かった仲間の視点と重ねてみたりしているうちに、いつも頭の片隅から離れなかった『何とかせねば』という気負いは消えていき、子ども達の悩みに対して適切な距離感を掴めるようになった。そして、自分自身の気持ちも大切にできるように変化していった。

PIECESとして「市民性の醸成」に取り組む旅路はまだまだ続いていくので、また新たな気づきや発見などがあれば、こうして皆さんとも共有させていただきたいと思います。

それでは、また次の31日にお会いしましょう。