「問いを贈ろう」

大きすぎる願いと共に

どうしたら、誰かの痛みや排除の上に社会が成り立つのではなく、誰もが尊厳ある一人の人として大切にされ、異なるさまざまな存在が共に生きていけるのだろう。その世界をどう育んでいけるのだろう。
そんな大きすぎる「願い」を持ちながら、私たちPIECESは活動しています。

大きすぎる願いや痛みを目の前に、私自身、時に途方に暮れることもあります。
ただ、私自身は、それでも願う社会が私たちの手元から紡がれることを体験し、学んできました。

私は一人の人間だから、不完全でエラーも起こします。
そして、私だけでなく誰もが一人の人として、不完全でエラーを起こしうるのではないかとも思います。
その不完全さやエラーは、私たちの生み出す仕組みや制度にも起こり得ますし、文化にも内在化されていきます。

だからこそ、その不完全で歪みが起きやすいことを前提に、私たちは知恵を出し合い、起こっている痛みに目を向け、可能性に耳を傾けながら、当たり前を問い直し、構造を問い直すことで、少しずつ少しずつ前に進んできました。過去から今まで、法律や制度が様々な人の努力と声と痛みの上に変わってきたように。

大きな痛みや犠牲がないと変わらないのではなく、誰もの今日の暮らしの安全が、誰もの明日への願いが大切にされるような、そんな変化を願う自分がいます。

だから、過去の知恵を受け取りながらも、常に当たり前を問い直し、確固たる正解が存在し得ないこと、少なくとも今正解だと思っていることが時代とともに変化する可能性もあることを受け取り、問いから生まれる変化を大切にして進んでいくのだと思います。

問いを通して立ち止まってみる〜food for thought~

異なる私たち尊厳ある一人ひとりが大切にされている、そんな社会は、誰かがつくる確固たる正解ではなく、
私たちがふと感じる違和感や、願い、問いから紡がれていくのではないか。
そして、その問いや、問いが生まれた背景にある体験や痛み、願いを共有し合いながら、願うあり方を共に模索していくような、他者や世界、自分自身への純粋な関心や眼差しからはじまっていくのではないかと考えています。

厳しい現実と向き合い、それを体験する日々の中で、
時間や距離を超えて、一人の人としてお互いをまなざし、世界に手を伸ばすような、そんなひとときを共にできるとしたらそこには何が生まれるのだろう。

そんな想いから、私たちPIECESでは、2021年から「問いを贈ろう」というキャンペーンを始めました。

異なる場所に生き、異なる体験をしている異なる私たちが、問いを通して、自分の中に生まれる願いや想いを共有し、そっと深呼吸して立ち止まり、自分や他者に、世界に想いを馳せる。

そんなひとときの積み重ねが、豊かな明日の種となり、
種の芽吹きを大切に慈しみ待つ、 
私たちの中にある純粋な関心が、
芽吹きの広がりを紡ぎ、
世界が少しずつ 変わっていくかもしれません。

気づいたら私自身、いろんな役割や立場の中で、一人の人として、つまり市民性を通して、人と、世界と関わることが難しく感じることもあります。

それでも、ふっと力を抜いて、ただただ一人の人として心を交わしたとき、一人の人として世界に起こることに悲しみ喜び、そこに生きる人のことを思うとき、
出会った人からジャッジのない一人の人に対する眼差しが向けられたとき、そしてその時感じる純粋な関心に、
私自身の心が喜び、心の泉が湧いてくるような感覚になります。

私も問いを通して、問いを広げてくださる様々な方と、立ち止まって、
問いから生まれる風景を見つめ、わたしたちとして響き合う感覚に耳を澄ませて、願う明日の世界に手を伸ばしたいなあと思います。

支援するのでもされるのでもなく、ラベリングされた境界線に押し込められるのでもなく、異なる経験を持つ経験者としての敬意を持ちながら、この世界を共にする一人の人として。

今年の「問いを贈ろう」が始まります。

#問いを贈ろう — 認定NPO法人PIECES(ピーシーズ)20の「問い」をあなたに贈る7週間toi-pieces.tokyo

是非共に、そっと息を吐いて、ふっと肩の力を抜いて、
少しだけ、一人の人としてあれる時間を過ごしませんか。

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ウラバナシ

〜サイカンパニーさんとご一緒したかった理由〜

私たちはいつも何かを伝える時、共有するとき、そのデザインのプロセス自体を大切にしています。
私たちにとっても大切な「問いを贈ろう」のキャンペーンにサイカンパニーさんにコアから関わっていただいた理由を少しだけ。

共に育み広げたい社会や世界のあり方を考え紡いでいくことは、誰かの特権ではなく、誰もの手元から育まれるものであると私たちは考えています。

だから、私たちにとって、自団体の願いやフィロソフィー、世界観や大切にしているエッセンスが特権性を帯びずに、誰の手元にもあるものとして、暮らしの中に溶け込みながらも、誰もが問い直せるものとして誰もと紡いでいけることが、そしてお互いに行き来するものであることがとても大切なことだと考えています。
そんな想いから、自分たちの大切にしている願いや想い、エッセンスが現実や暮らしに映し出され、一人一人の中にある願いの重なりが、自分たちの願う未来と繋がり育まれていく、そのつながりをもたらす多様なメディウム的なあり方も市民性の一つの形でもあると考えています。

わかりづらいこと、複雑なこと、目に見えづらいこと、体験しないと共有が難しいこと。
そういったことを、誰かを消費するようなストーリーとしてでも、誰かの尊厳を傷つける構造を強化する形でもなく、
まるで、目の前に広がる風景の前に共にいるかのように、ふと見上げたどこまでも続く空を誰かも見上げていると感じるかのように、「共有している感覚」を感じながら、
それを、まるで、食を共にしたり、絵本を手にするかのように、「手にとれる共有体験」として体験できるような、
デザインを通して体験する市民性があるのではないかと思っています。
そしてそれをデザインを通して行っているサイカンパニーさんと、ぜひ今回のキャンペーンを共にしたいと思って、デザインをお願いしました。
キャンペーンの仕組みやコンセプトコピー、そしてサイトといった、想いやその背景にある願いを、日常を育む一人一人の手元につなげていくデザインを一緒に考え形にしてくださっています。